🐓🥚どっちが先?ワインと料理のペアリングの謎に迫る⁉
Salut! Tu vas bien?
どうも、シェフです。
みんなは、料理にワインを合わせる? それとも、ワインに料理を合わせる?
もちろんケースバイケース。難しいことは考えずに、美味しく楽しむのが一番いいに決まってるよね。でも僕たちプロの立場としては、ペアリングの根源的な、元の部分を考えたりもする。そもそもは、料理とワイン、どちらが先だったのか?と。
現代のレストランでは料理が先のことが多い。まずシェフが料理を決める。そこからすべてが始まるという考えだ。これは、サービスよりも、厨房主体で運営されているレストランが多いことを意味してる。
お客様は、シェフが繰り出す奇想天外な少量小皿の料理と、グラスに注がれた飲みものを提供されるスピードに合わせて味わっていく。世界中のありとあらゆる飲み物の中から、奇抜さと安定感を織り交ぜてチョイスされたひと口ずつの飲み物を次から次へと変えながら。すでに決まっている計算し尽くされた組み合わせを、レストランのテーブルで試させられてる感じだね。まさに実験室化してる現代のレストラン。まるで「驚き」を享受するためにレストランへ行ってるみたい。食事ってこうじゃないよねと感じちゃって、僕の好みとは明らかにかけ離れた路線。なんていうか、血が通ってないんだよね。食事は明日への活力。命そのもの。ベルトコンベアーに乗せられたように進行するんじゃなくて、腰を据えて、もっと落ち着いて味わうほうが楽しいんじゃないか?
逆の店もある。そこは僕が東京で働いていた頃 何度も通った銀座一丁目。伝説のギャルソンが立ち上げた「サービス主体のレストラン」だ。まず優先されるのは、お客様とホールの空間での事象。それに厨房が従い美味しさを作り上げるというスタイル。レストラン運営では連携が大事だから もちろん主従関係ではないのだけど、サービス主体のレストランは初体験だったから その素晴らしさに感動したことを覚えている。
給仕長のウィットに富んだ会話から、価格も考慮して飲んでみたくなったワインをボトルで選ぶ。当然、厨房には、このテーブルのお客様はこのワインを飲むという情報はすぐに伝わって、料理にも気づくか気づかないか程度わずかにワインとのバランスを図ったエッセンスを忍ばせるという按配。これには、厨房もワインのことに精通していることが必須だし、双方の理解度が高レベルでなければ実現できない離れ業だ。
料理とワインのペアリングを考えるとき、料理とワイン、どちらが先??
よく見かける 組み合わせをただ単に当てはめてるだけのペアリングでは、まったくもって面白みがない。もっと深く、それこそ本能に訴えかけるくらいの納得感が欲しいんだ…。味覚や香りを頼りに上辺だけ合わせてもマリアージュは生まれないし、その究極は飲んでることを忘れちゃうくらい食事と会話に自然と溶け込むこと。う~~ん。ちょっと答えを出すのは簡単じゃないね。
でもこの悩みは、あくまで料理もワインも選択肢のある現代だからこそ。
料理とワイン。かつてのフランスではどうだったのか考えてみようか。
中世ヨーロッパでは、水は不衛生で飲めたものではなかった。安全で美味な飲料の確保は、富や財を築くことと並ぶくらい重要だった時代。でも 水がだめなら…、え?どうするの? ノドは渇くし、料理をするのにだって水分は必要だ。そんな枯渇に悩む人々を助けたのはあの果実。地中深く根を張ってぐんぐん水分と栄養を吸い上げて、果汁いっぱいの漆黒の実を驚くほどたわわな房で実らせる葡萄。潰して置いておくだけで果皮についている天然の酵母でアルコール発酵がすすんで日持ちも可能な飲料に。食事の時に何を飲んでいたのか。そうだね。食卓にはいつもワインがあったんだ。
だけど、液体を運ぶのは大変だ。現代のように 食卓に各種 遠く離れた地で作られたワインをずらりと揃えるなんて夢のまた夢。あるのは いつだって地元のワイン。運んでこられないのだから。
そう。ワインは選ぶものじゃなくて、まず、その地元のワインありき。
料理にワインを合わせるんじゃなくて、ワインに料理を合わせるのが当たり前の光景だ。料理とワインが共に歩んできた歴史は、嗜好ではなくてもう必然だったんだね。だって 水が無かったら、なに飲むの…? 選択の余地はない。もちろんワインだ。
食卓の料理の味や構成。工夫や努力次第でそれはいくらでも変えられる。地元のワインを飲みながら、当然のように人々はワインに合う料理を好んで食べ、好んで作り続けてきた。ワインに合わない料理は長い歴史の中で知らず知らずのうちに淘汰されていったんだね。核になるこの大切な事実を忘れてしまっては、料理とワインのペアリングは語れない。
料理が先か、ワインが先か。もちろん「ワインが先」がその答え。
リヨンはボジョレワインで潤されてきた歴史(→blog)を持つ。水が飲めない時代から、ボジョレがあったから生かされてきたリヨンの街。リヨン料理がボジョレワインと相性がいいんじゃなくて、ボジョレワインに合うように拵えた料理の集合体がリヨン料理。いつものワインが食卓にある。リヨンの美食はボジョレありきなんだ。
ボジョレワインに寄り添える料理だけが生き残り、現代のリヨン料理を形成する。
リヨン料理とボジョレワインは、まさに完成されたペアリング。長年連れ添った夫婦のように、すべての料理が阿吽の呼吸でピタリとはまるマリアージュ。
即興で考えられたその場限りのペアリングでは到底太刀打ちできない完成度。虜になったら抜け出せない秘密はここにある。リヨンの人々が、代々何百年もかけて作り上げた 世界に誇る究極のマリアージュなんだ。
- この料理に合わせるなら、どのワインにしようかな?
- 次の料理に、このワインでいいのかな?
注文の時や 食事の最中に、そんな心配を抱く必要がないのがリヨン料理店。
だって、すべてのワインとすべての料理が完璧に合うんだから。何をどう選んでも大丈夫。それってすごいでしょ?
- ペアリングできますか?
リヨン料理店は、もうペアリングが完成してる。すべてのワインとすべての料理が完璧に合う。だから、小手先で一杯ずつのちょこちょこ試し飲みは必要なし!もっと楽しいワインとの付き合い方は、味を変えていくことじゃなくて、食事中その同じワインに染まっていくこと。ふらふらしないで味わえば、じっくり美味しさが染み渡るはずだ。
ワイン選びに必要なことは、気分と好みと予算、飲める分量で選べばすべてがうまくいく。作り手で選ぶ?特徴的な香りで選ぶ?ラベルのデザインでジャケ買い?いいね!どれも楽しい選択だね。リヨン料理店は、どの組み合わせでもペアリングが完成する稀有なレストラン。不安をすべて取っ払って、店主のおすすめ黒板から(もちろんワイン担当と相談しながら。も、ワイン棚から。も、Blogを見て。も、Web版ワインリストから。だってOKだ!)じっくりお選びください。
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こんなことを考えてて、別のことにも気が付いた。
食事は、料理とワインと会話の3つが揃って初めて完成するんだということ。だからワインだけを語ることはまるで意味がない。スクールに通っても、ワイン本を買い漁っても、教えてる側の知識が偏ってる場合が多い(と僕は感じる)から 学び手はピントがズレたワイン通に近づくだけなんだ。例えば教本の暗記項目ですら、あくまで概論。間違ってはないけど隅々まで正しくもない。それぞれに役割を当てるためにもっともらしく書いてある事項のほとんどは、試験でこそ意味があるのであって、実際の食事では通用しないことが多いよね。
レストランで机上の空論をひけらかすほどみっともないことはないし、勉強したことは あくまで「考え方のひとつ」だと軽く思ってたほうが 真の美味しさに出会える。いま、自分が体験していることこそが真実なんだから。教本で覚えた知識を一生懸命なぞる作業に没頭してると大切なものを見失う。レストランは答え合わせの場所じゃなくて、美味しい時間を過ごす場所。教本には確かこう書いてあったなって頭をよぎった時点で、美味しい食事からは遠のいていくんだってこと 忘れないでね。
僕たちプロは、いま手にしてるワインを 目の前のお客様に最高の美味しさで味わってもらいたくて、最適な状況(最適な温度、最適なグラス、最適な組み合わせの料理)を作り上げてるのに、すべてを把握してるレストランよりも 概論を述べてる参考書を信じちゃう? それは あまりにナンセンスでしょ。その店のプロに、もっと身も心も委ねてみよう。実際に店で提供してる料理とワインに関してなら、間違いなく世界一精通している専門家なんだから。
スクールや教本からでは絶対に得られない、本当の美味しさに出会えるはずだ。
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リヨン料理とボジョレワイン。
その美味しさの秘密は、歴史が奏でる究極のマリアージュにあり。
そこにボジョレの丘があったから、リヨンの美食は完成したんだ。
今夜もリヨンっ子になりきって、美味しい時間をお過ごしください。
NOSTALGIE × AUTHENTICITÉ
フランスよりもフランスらしく 受け継がれてきた本物の味を
chef
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Bistro Tableau Noir(←ホームページ)