Les Mères Lyonnaises


雨が続くこんな日は、ちょっと歴史の話でも。

今日のテーマは、
「リヨン料理のルーツを探れ
 ~ 美食の都を支えた「おっかさん」の話。~



18世紀。上流階級のお屋敷では、リヨン周辺の田舎から集められた娘たちが料理係として雇われていたんだ。その後、時代の大きな流れが彼女たちの運命を変える。

1789年。
フランス革命。
王政の崩壊だ。特権階級に対する戦い。
ヨーロッパ中に激震が走ったこの革命は、実は現代のレストランにも深く繋がってる。
そろそろ教科書にも「1789フランス料理革命」って載るはず⁉だ。試験に出るかも。

さぁ、彼女たちの運命や、いかに!?


革命で職を失った彼女たちは、ブルジョワと呼ばれる裕福な人たちに雇われたり、自分の店を出したり。屋敷で覚えた高級料理と、それぞれの家庭に代々伝わる祖母の味を融合させて、自慢の腕を振るったんだね。


そんな彼女たちは、こう呼ばれるよ。
Mère lyonnaise(メール・リヨネーズ)リヨンのおっかさん

激動の時代、リヨンの労働者たちにとって、メール・リヨネーズはまさに母のような存在。温かい食事と宿の世話。
愛情あふれるメール・リヨネーズの活躍が、リヨン料理の名を世界中に広めることになるんだ。

1900年に初版を発行したミシュランガイドの執筆者 Curnonsky キュルノンスキも、その完成度の高すぎる地方料理に大絶賛。

“ Lyon est la capitale mondiale de la gastronomie.”
あまりにも有名なこのセリフ、「リヨンは美食の都だ!」

その証拠に、メール・リヨネーズの一人、Mère Brazier(ブラジェ)がなんと、1933年 3つ星☆☆☆を獲得。すごい!
さらに言えば、彼女はあのポールボキューズの師匠なんだ。
リヨンのおっかさん、ほんとにすごい‼

いままで捨てられていた内臓を「もったいない」と手間と時間をかけ、おいしい料理に作り上げる技術を確立させたのも、彼女たちの功績だ。リヨンに名物モツ料理が多いのも頷ける。

もちろん、リヨン料理に影響を与えたのは、それだけじゃない。
例えば
将軍ナポレオンが北へ南へ行った遠征は、勝ち負けに関わらず、多くの食文化の流入につながったし、
遡って、1533年にアンリ2世に嫁いできたカトリーヌが、当時の最先端だった新しい生活様式を持ってきたことは衝撃だったはず。

同じころ、新大陸が発見されて、マヤ・インカから大量の金銀がヨーロッパにもたらされるけど、料理界にとっては、じゃが芋・トマト・唐辛子・バニラが伝わったほうが意味深い。
もっとも、じゃが芋がフランスに定着するのはずいぶん後なんだけどね。大陸発見から300年経ったフランス革命のころだ。農学者パルマンティエの活躍。

もっと遡れば、繰り返した十字軍の真の目的は時代とともに変わって、香辛料を手に入れるためだったような気もするし、
もっともっと遡れば、ローマ帝国カエサルのガリア遠征、その後のゲルマン人の大移動、フランク王国。

歴史とともに人と食、文化が伝播し、形成される。この繰り返し。つい最近まで、国境を縮めたり広げたりしながら、隣国と影響しあって、いまのフランス料理、そしてリヨン料理があるんだ。

歴史のすべてが今に繋がる。黒板を眺めながら、そんなことに思いを馳せるのも楽しいんじゃない?






NOSTALGIE × AUTHENTICITÉ
ランスよりもフランスらしく 受け継がれてきた本物の味を 
chef

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